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1.教え子、ムティンディ・ムショカ(仮名)の家庭のその後 |
ケニア便り(その9:99年5月3日号)で紹介したムティンディ・ムショカ(仮名、女子、2年生)の家庭のその後です。ちょっとプライバシーも気になるのですが 、ケニアでどんなことが起こっているのかの例になると思うので、書いてしまいます。 |
5月に学校の2学期が始まり、早速彼女の家を訪問した。4月の休みに入る前と状況が大きく異なっておりびっくりした。 |
まず、1月に離婚して帰ってきていた長女(マーガレット(仮名))が妊娠していた。しかも、彼女は3月までは私の同僚の先生の家庭でお手伝いさんをしていたが、解雇され仕事がなくなっていた。 |
私の教え子のムティンディ(二女)は、休みに入る前はあんなに元気だったのに、妙にやつれていた。聞くとマラリアが再発したとかで、4月の学校が休みの間、3週間寝ていたと言う。医者に行く金もないので、薬草を水につけておき、その水を少しずつ飲んでいるという。 さらに彼女たちのお 母さん(多分40代)と、末娘(2歳くらい)は、熱を出していたし、その他の兄弟姉妹もなんとなく調子が悪そう。 |
彼らのお父さんは相変わらず仕事が見つからないし、長女も仕事を失うしで、彼らは現在現金収入がない状態。医者には当然、誰も行っていなかった。 |
どんなものを食べているのかと見ると、彼らの通常の食事は、ギゼリというトウモロコシと豆を煮たものと、ボーガという野菜を煮たものの組み合わせなのだが、ギゼリの豆の量が極端に少ない。野菜もスクマという緑の大きな葉っぱではなく、クンツェというとても青臭くて苦い緑の葉っぱを煮たものをちょっとだけしか食べていない。多分、家族全員栄養が足りないのだろうなと見えた。 |
彼らが食肉用に飼っていたウサギは、夜中に野犬かマングースに襲われたのか、いなくなっていた。 |
畑はと見に行くと、トウモロコシと豆とグリーンピースとソルガム(トウモロコシに似た穀類)とを植えていたのだが、全滅に近い。4〜5月の雨期にあまり雨が降らなかったからだ。私があげた豆の種からの株も枯れていた。比較的乾燥に強いソルガムだけが、かろうじて実をつけ始めていた。 |
こんな時に一体自分は何をしたら良いのか、正直良く分からない。現金なのか、食べ物なのか、薬なのか、それらをどれくらい、いつ、誰に(父親か、母親か、英語の話せる教え子か)あげるのがいいのか?それにこういう状況は、多分この家庭だけではない。他をほっといて良いのか、ここだけサポートしたら周りから妬まれないのか? また彼らの依存心を助長しないか、とか…。 結局、薬は副作用が恐いので止めて、現金を少しだけ2回に分けて教え子にあげた。使い道を指定するかも迷ったが、任せた。後日、どう使ったのか聞いたら、私の教え子の学費(3250シリング、約6千円)と、母親と末娘の医者代(何回行ったかを聞いていないけど、多分合わせて500シリング、千円くらい)、そして食糧に充てたといっていた。 |
その後、再び訪問すると皆元気を回復していて、とりあえず良かった。父親からも感謝してもらった。 父親は、民族語であるカンバ語と国語のスワヒリ語を話し、母親はカンバ語と、スワヒリ語は少し。ところが僕は残念ながら英語しか話せないので、直接会話ができないのが何とももどかしい。父親がカンバ語で話し、それを教え子に英訳してもらったのだが、感謝のセリフのなかに、「これがカンバ人だったら、周辺の人々に言いふらすし、服従(surrender)を求めるのに、そんなこともなく…」とあったのが気にな った。ケニアを代表する言葉にハランベーというのがあって、一般的には「いっしょに頑張ろう」と日本語には訳されている。そのケニアの人にちょっとお金を上げたくらいで、服従することを求められるのではと心配していたと言われたのは、意外だった。 |
長女のマーガレットの出産は、8月上旬が予定日ということだったが、一ヶ月前の7月6日に双子の女の子を無事に産んだ。病院ではなく、助産婦さんに手伝ってもらって家で産んだらしい。後日その助産婦さんに会ったが、歩くのもおぼつかないような高齢のお婆さんで、ちょっとびっくり。 出産祝いということもあってまたまたお金をあげてしまったが、赤ちゃんを包む毛布とたらい、食べ物などに使ったとのこと。 一ヶ月後の8月6日(日)にその助産婦さんも呼んで昼食会をやった。一ヶ月後というのは、スポンサーの僕の都合であって、特に意味はない。メニューは、チャパティという小麦粉を水で練って油を引いた鉄板で焼いたパン(イーストやふくらし粉は使わない)、スープ(トマト、ジャガイモ、それになんと羊の顔面を含む頭部の皮下脂肪の角切りを煮たもの)。向こうからのリクエストはこれだけだったけど、こうい う機会に皆に栄養をとって欲しかったので、鶏も一羽つぶして焼いてもらった。羊の頭というのは、僕は始めてだったので何か意味があるのかと思ったが、特に意味はないようだ。僕らが、特別のときのご馳走として、お寿司やうなぎを食べるようなものだろうか。 ところで、双子なのに母乳が十分でないみたいで、牛乳を買って水で薄めて煮て、赤ちゃんたちに与えていた。哺乳ビンなんか当然持っていないので、冷ましたものをコップにいれ、スプーンで飲ませていた。 |
2.干ばつ??? |
ケニアは日本の国土の1.6倍と広く、気候の幅も広い。しかし、大雑把に言って、東部から北部、国土の80%は乾燥・半乾燥地帯で農業には厳しい土地である。私の職場の地域は、東部の半乾燥地帯にあたる。年間雨量は、普通500〜800mmくらいだと思う。これは、日本の平均の半分から3分の1にしかならない。 問題なのは、平均の雨量が少ないだけでなく、年によるバラツキも大きいことだ。 年間の雨量のデータがないが、私のところから80kmくらい離れたところの林業プロジェクトの人の話では、そこでは、97年7月から98年6月の一年間の雨量が約1000mmもあったのに対し、次の一年間(98年7月〜99年6月)は約300mmにしかならなかった。 また、その人が調べた文献によれば、これくらいの年間平均雨量500mmくらいの半乾燥地域では、年2回雨期があるとすると、作付け収穫の時期も年2回になるものの、 2年間4回のチャンスのうち、まともに収穫できるのは1回くらいしかないのが普通らしい。 |
だから、昨年5月までの雨期に十分な雨量があって豊作だった後、昨年11月の雨期も今年4〜5月の大雨期も降水量が少なく、収穫がほとんどなくても、それほど驚くことはないのかもしれない。 |
しかし、2回連続してほとんど収穫がないと貧富の差が段々拡大していくように見える。大きな農地をもっていると、その場所によって土質の差や種まきのタイミングの違い、植えている作物の違いなどで、最低限の収穫を得ている。しかし、上述した生徒の家庭のような小さな土地しか持っていないと、全滅してしまう。しかも他に現金収入がないので、次ぎの種まきの時にまく種も食べてしまえば種もないし、病気になっても医者に行けず、学費も払えない。食べ物も偏ってくるので、栄養状態が悪くなり、病気に罹りやすくなる。 |
また、私たちの村にはパイプラインが来ていて、それで水が得られるのだが、6月中、その水がほとんど来ていなかった。学校の水タンクの水も残り少なかったので、その利用は厳しく制限された。寮に入っている生徒たちは、昼休みに近くの川に水汲みに行ったのだが、行きが60メートル下りで約30分、帰りは男女の生徒とも20リットルくらい水を持って、そこを上るので1時間くらいかかってしまう。お昼休み中に
帰ってこれなくて、午後からの授業に間に合わない生徒が多かった。 何故パイプラインの水が途絶えたのか?途中で輸出用の花の農場の持ち主や遊牧民の人たちが水を盗んでいると噂されていた。 |
本当に雨不足は困る。次の雨期に本当に雨が降るだろうか、雨が待ち遠しい。 |
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