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友人のケニア便り・その6です

ケニア便り(その6:98年12月2日号)
 日本の学校は4月に始まり3月に終わるけれども、ケニアの学校は、カレンダー通り1月に始まり12月に終わる。最後の第3学期は8月末から始まるが、11月中旬には終わってしまうので、3つの学期で一番短い。
さて、その短い3学期のど真ん中に行われた教員のストライキがケニアの色々なことを浮きぼりにしたので、そのあらましをまず書く。また、休みに入ってからたまたま入ったディスコで感じたこともまとめてみたい。
1. 教員組合のストライキを巡って
 ケニアの公立の小学校と中学校の教員は、教育省の教員サービス委員会(TSC)から学校に派遣されるという形になっている。教員の配属先も給料もその教員サービス委員会が決定している。
一方、約26万人いると謂われる教員たちは、ケニア教員組合(KNUT)を形成している。
 私がケニアに派遣される前の1997年10月、ケニア教員組合は全国規模のストライキを行ない、5年間で150〜200%の賃上げ(勘違いしやすいけど、つまり2.5〜3倍です)を政府、TSC側に約束させた。
ところが、今年6月、ケニア政府が翌会計年度(7月から6月)の予算発表の時、財源不足を理由に、賃上げの凍結(年4%の定昇のみ)と今後3年間で6万6千人の教員数の削減とを宣告した(この時の政府資料にあった教員の給料合計と教員数から教員の平均給料を計算すると、現在の平均給料は年間十数万シリング、約30万円でした)。
 これに反発した教員組合側が、10月5日(月)から再び全国規模のストライキに突入した。結局、10月20日(火)のケニヤッタ記念日(ケニアの初代大統領ケニヤッタを記念する祝日)にキリスト教の牧師たちの仲裁によって、教員組合側は何も獲得しないままこのストライキは中止された。
 まず、去年なぜ政府側が150〜200%もの賃上げを認めたのか。ケニアでは、毎年10月末から11月にかけて、小学校卒業認定試験(KCPE)と中学校卒業認定試験(KCSE)が行われる。このたった各1回の試験結果でその後の進学や就職が決まる。したがって、この試験の直前からストライキを始めこの試験ができないぞと脅かすと、その年の卒業生の進路が決められないので大きな圧力になる。
それに加えて、昨年末にケニアの大統領選挙が行われたが、教員は各地域で影響力があるので、大統領は教員の支持を得ておく必要があった。こうした背景のもとに、賃上げが認められたと言われている。
 では何故、その賃上げを政府は撤回したのか。
今年10月、与党議員が何故昨年認めた賃上げを今年に入って撤回したのかについて、新聞に投稿していた。その内容は、今年に入ってから、外国の援助国政府や国内の関係者も交えて検討してみたら財政的に不可能なことが分かったからというもので、ようするに昨年はあまり考えていなかったと言っているようなものだ。
ということで、一旦約束をしておきながら、選挙が終わった今年その約束を一転して反古にしてしまうケニア政府は、とても問題が多いと思った。
 一方、ケニアにも国会があり、6以上ある野党の中のある議員から、この教員の賃上げや経済政策の失敗など様々な理由で大統領に対する不信任案が提案され、10月15日に議論された。しかしこれは、賛成67、反対137、棄権6の大差で否決されてしまった。国会の議席数222の内与党議員は113しかいないので、野党側議員の多くが信任に回ったことになる。真偽の程はともかく、この裏ではお金が動いたとも言われている。
そこで信任に投票した野党議員のコメントも新聞にのっていた。そのコメントは、複数政党制の民主的な国会では勢いが重要で、国会で負けてしまうと今後の活動に支障がでるからという、非常に分かり難い説明がなされていた。簡単にいえば、勝ち馬になりたかったということらしい。
また、ケニアの多くの政党は特定の民族と結びついているので、政党同士が結束すると言うことは非常に難しいらしい。これも野党がまとまって不信任案に賛成できなかった理由の一つと考えられる。
 このストライキを通じて、ケニアの政治が置かれている状況を見ることが出来た。 また自分の生徒や同僚の先生たちも論理的に説明するのが苦手だし、責任という感覚に乏しいと思うが、政治家も同じようなものであると思わせる一連の出来事だった。
 大統領の不信任案が否決され、ストライキは勢いを失った。そして10月20日(火)ケニヤッタ初代大統領記念日に、教員組合側の全面敗北という形で終わった。その結果、10月21日(水)から予定されていた中学校卒業認定試験(KCSE)と引き続き11月に予定されていた小学校卒業認定試験(KCPE)は、滞りなく行われた。
 当初、一般の組合員たちは実に強硬で、組合の事務局長が政府との話し合いを持つことさえ妨害していた。組合のリーダーが不在とも言える状況で、収拾は不可能かとさえ思えた。それを収拾したのはキリスト教の関係者だった。それくらい、ケニアではキリスト教の牧師は尊敬され、影響力があると認識させられた一幕でもあった。

 また、この昨年からの賃上げ闘争は、小学校の先生たちが中心になって進めていた。その理由は、

(1)
 小学校の教員は無資格または低資格の教員が多いために給料が安く、賃金に対する不満が大きい。.

(2)
 組合は全員参加の義務ではないが、上記理由から小学校の方が組合への参加率が良い。

(3)
 小学校の先生はその学校近くの出身の人が多く、校内で仲間意識も強いのでまとまりやすい。それに比べて、中学校はその出身地域がバラバラで、私の学校では出身民族も分かれていて、仲間意識が弱い。

(4)
(3)に加えて、小学校の先生は地域のリーダーとも関係が深く、協力が得やすい。中学校では、先生と地域の人々がバラバラで先生がストライキをした場合、地域の人からの反発も得やすい。

(5)
 小学校の教員の方が数も多いので、組み合いの中での発言力が強いだけでなく、地域に対しても影響力が強い。
 これらが、新聞を読んだり、同僚に聞いて分かった主な理由だ。こうした話も、ケニアの人たちの人間関係、地域との関係が見えてきて面白かった。
 最後に、実は私の学校はストライキに参加しなかった数少ない学校の一つだった。しかし、どのくらいの学校がストに参加しなかったのかは、把握できなかった。
また残念ながら、なぜ自分の学校(だけ)がストライキをせず、他のほとんどの学校がストに参加したのかも、結局良く分からなかった。スト破りをすると、ストに参加した先生たちからの嫌がらせが恐いのでストに参加した、というのが他の多くの中学校がストに参加した理由らしい。それは、私の学校でも変わらないはずだ。では、なぜか。うちの学校の校長は、強烈なリーダーシップを発揮するタイプで、これはもしかしたらケニアでは珍しいタイプかもしれない。その校長がストに反対だった、というのが一番大きな理由に見える。
2. ディスコでみたこと
 私の趣味は山歩きだ。だからケニア滞在中に是非ケニアの最高峰ケニア山に登りたいと思っている。その下見というか、情報収集のためにケニア山の麓の町、ナニュキ (ナイロビから北にバスで3時間、200シリング、約500円)に先週末(11月28日(土) )行ってきた。
 某有名ガイドブックに登山の情報が得られると書いてあったホテルに泊まった(一泊食事なし、シャワーあり(お湯は出ない)のシングルで400シリング、約1000円)。ナニュキには、たいしたレストランもないので、そのホテルのレストランに行ったのだが、そのレストランは毎週末ディスコになる(入場料100シリング、約250円)。
 僕はそこの隅っこで一人ビール(500ccのボトル1本65シリング、約160円)を飲みながらチキンカレーライス(140シリング、約350円)を食べていた。しかし、その時のこのディスコのお客さんたちがこの町の状況を如実に示していて、僕は無性に悲しかった。こんなのどこにでもある、ありきたりの状況なのかもしれないけど、そう考えると余計悲しくてたまらなかった。
 ディスコのフロアの大部分を占めているのは、ナニュキの近郊にあるイギリス軍基地の兵士たちで、制服を着たまま踊っていた(もちろんイギリスはケニアの旧植民政府だ)。この兵士の中には、中国系や東南アジア系の顔もあったけれども、先住アフリカ人(つまりいわゆる黒人)の顔は見られなかった。
 それらに交じって踊っているのは、恐らく(確認した訳ではないので、間違っていたらいいのだが)マラヤさんと呼ばれる性風俗産業で働く人たちであった。普通のケニアの女性にはタブーである肌を露出した服を着た女性もいて、英軍兵士の気を引こうと一生懸命踊っている姿がまた見るのもつらい。
 食事する場所は、踊る場所とは小さな仕切りで区切られている。その中は、僕以外は皆ケニア人だった。彼らは、コーラなどの炭酸飲料かビールを飲みながら、ミラーというケニアでは合法の麻薬を楽しんでいる。ただ、マラヤさんらしき女性が僕にアプローチしてきた時に彼らが一斉に僕に向けた視線は、嫉妬と好奇に満ち溢れ忘れられないものだった。
 フロアで踊っていた兵士の中には女性もいたし、純粋にダンスを楽しんでいた人たちも多いとは思う。でも、僕が部屋に戻る時、部屋の方に向かう兵士と女性は、やっぱり、いた。
 ケニアが貧困に苦しんでいる原因の一端は、イギリスによる植民支配にある。その延長で、いまだに軍隊を置いている。そして、このニャヌキの町は、ケニア登山などの観光客とともに彼らイギリス軍に依存している。それはこうした性風俗産業も含まれる。イギリス軍が撤退すれば、困るのはやはり町の人々だろう。それでは、イギリス軍はこの町に役に立っていると言えるのだろうか。
 また、僕はケニアの中学校で教師をしている。ケニアでは、特に理数科の教師の数が足りないので、それを補うためだ。女子の教育水準を上げることは職業選択の幅を広げるので、彼女たちにマラヤさん以外の職業につく機会を与えることが出来ると思う。しかしケニアの失業率は極めて高く、中学校に行ったからといって、まともな職業に就くのは難しい。
 また、ケニアより教育水準のはるかに高い日本を始めとする先進国で、依然として売春も麻薬も公然と行われていて、一向に減る気配はない。
 私に出来ることは何かあるのだろうか。