厚木市議 高田ひろし通信 on the web 

友人のケニア便り・その9です

ケニア便り(その9:99年5月3日号)
1.ある生徒の葬式
 3月21日(日)、ヘンリー(仮名)という2年生(日本の高校1年生相当)の男子生徒の葬式が、彼の実家で行われた。彼は、2月のある朝礼の時、嘔吐し、その後帰宅入院していたらしいのだが、手当が遅れたのか、亡くなってしまった。腸チフスだった。
 11時頃、葬式に参加する先生3名と、生徒約20名が学校に集合した。先生では、私と他に2名が参加、ヘンリーのクラス担任は結婚式の準備があるからと欠席、校長・教頭も出張中で参加しなかった。
 生徒たちは、歩いて2時間半くらいかけて葬儀場に向かった。私たち教員は、バスで15分、さらに炎天下、なだらかな登りの斜面を30分歩いてやっと着いた。
 葬式は午後2時からとのことだったが、教会の牧師の到着が遅れ、3時前から始まった。ヘンリーの家族や学校の先生の挨拶、牧師のスピーチに引き続き、彼の棺が実家の片隅に掘られた穴に埋葬された。
 今回も含めてこれまで出たカンバ人の葬式は、言葉が彼らの民族語(カンバ語)なので詳細は理解できないのだが、午後2時に始まり、親戚や知人の挨拶に引き続き牧師のスピーチがあり、火葬はなく、棺をそのまま庭先に掘った穴に埋葬している。
 ここで、4時近くになってしまい、帰りのバスがなくなってしまうことから、教師も生徒もここで帰ることになった。帰りはみなバスに乗った。
 このヘンリーという生徒は、私たち在ケニア青年海外協力隊マクエニ地区理数科教師が共同で行った数学のテストで、この学校の一番をとるなどとても優秀な生徒だった。故人の冥福を祈りたい。
2.同僚教師の結婚
 現在、私の学校の男性教師2名の結婚が進行中だ。一人は、上述の葬式に来られなかった先生で4月17日(土)にすでに結婚式を挙げたはずだ。ここでは、もう一人の結婚を紹介したい。
 彼の名前はポール・ムタンギリ(仮名)、34才。本当は5年前に結婚していて、子供も2人いる。でも、正式な式は挙げていないので、その準備をしている。子供が出来るのを待ったり、お金が用意できてから正式に結婚するという例は、ケニアではさほど珍しいことではないらしい。
 4月17日(土)にムタンギリの結婚準備会(pre-wedding ceremony)が、彼の奥さ んの実家の中庭で行われた。結婚準備会の主な目的は、結婚に必要なお金やモノを集めることと、親戚や隣近所の人たちに新しい伴侶を紹介することにある。そしてだいたい4つの部分から成っているらしい。
 今回の場合も、まず最初に食事が振る舞われた。招待状が実にケニアらしいというか、この準備会が何時からか書いてなくて、自分は3時頃に行ったら、ちょうど出席している人たち老若男女60名くらいが食事をしている最中だった。出される食事はここでは豪華なご飯(白米)とチャパティ(小麦を水で溶いて薄くのばして焼いたパン)、ジャガイモとキャベツのスープ、目玉は鳥のスープである。
 続いて、親戚や近隣の有力者の挨拶、ここでも言葉が民族語のカンバ語なので詳しくは分からない。
 次が主催者にとってのメイン、寄付の受付である。箪笥や食器類、毛糸の手編みの手提げ、多いのはカンガと呼ばれる幅数十センチ、長さ1メートルちょっとの布でスカート代わりに腰に巻くもの、それに現金(日本のように封筒に入れるなどはせず、裸で渡す)が、一つ一つ、誰が何を寄付したのかノートに控えながらみんなの目の前で渡されていく。貧富の差が露骨に表に出るので、あまり好きなパートではないが、有力者にとってはそれを誇示する場として大事なのかもしれない。
 ここまでが全員参加の部で、夕方6時になってしまった。ここで女性や子供たちは帰り、男たちに酒が出される。ただ私の家からここまで4キロくらい離れていて、ここで飲むと遅くなってバスもなくなるし歩いて帰るのは危ないので、今回はここで帰宅した。
 正式な結婚式は、8月か12月の学校が休みの時に行われるらしい。
3.ある生徒ムティンディ・ムショカ(仮名)の家庭
 この家庭は、前回のケニア便りの前文で紹介した私が学費を払っている生徒の家です。ムティンディ・ムショカは、昨年私が赴任したときから教えている現在2年生(日本の高校1年生)の女子生徒で、家が私の住居から歩いて5分くらいしか離れていない。赴任当初一人で散歩していたときに彼女の親戚が私に気づいて家に呼ばれて、それ以来、時々お邪魔するようになった。
 この家庭は決して豊かな家庭ではない。女7人、男2人の9人兄弟姉妹だが、父親は日雇いの仕事がたまにあるだけで、畑もそんなに大きくはなく、現金収入は極めて限られている。
 昨年11月12月の雨期に植えられたトウモロコシは、そのときの雨量不足から全滅、次の雨期(3〜5月)のために植える種のストックなどとてもない。どうするのかと心配していたのだが、こういうことはよくあるようで、近隣・親戚の比較的余裕のある人がお金や種をあげるようになっている。私も、わずかだがお金と豆を差し上げた。この豆、自分の食用の豆の残りで食用に上げたつもりだったのだが、いいものを選んで種子として使うという。
 彼女の学費の面倒は、去年の3学期(9〜11月)からみている。元々、学費が払え なくて、1年生の1学期(1〜3月)は学校に来ていなくて、2学期(5〜7月)から来たのだが、3学期以降、結局払えなくて私に頼ってきた。
 これまで成績は、平均レベルであまり目立ってはいなかった。学校に来たのが2学期からだし、教科書も持っていないし、家庭からの通いで、家にいれば農作業の手伝いや子供たちの世話をやかねば成らず、しかも、電気もないので夜勉強するのも不可能で、こんな環境では、勉強しろというのが無理だなというのが正直な感想だった。
 ところが、この1学期の成績は79人中14位と大幅に向上。なぜ良くなったか。私の印象では、長女が1月に離婚して帰ってきて、家事の負担が大幅に減少したことが大きいと思う。
 3月末、学校が休みになって私が任地を離れる前に彼女の家に行った時にも勉強をしていて、2学期には10位以内に入るのだと張り切っていた。こうなると、学費を払っている私としても張りがあるというものだ。
 また、下の子供はまだ乳飲み子だ。その子供の背負い方が日本と違う。負ぶい紐などは使わず、(多分(2)に書いたカンガという)布で斜めに子供の体を包むようにし 、その布の両端を右肩と左脇の下から前に持ってきて、自分の胸のあたりで結んでいる。だから、子供は斜めに肩から首を出しているように見える。
 離乳食に何を与えているか。ここではウジと呼ぶトウモロコシ、小麦、粟の粉をお湯で溶いたモノが大人の軽食になっているので、それがそのまま子供の離乳食にもなる。それ以外に、ジャガイモをすりつぶしたものなんかも与えているようだ。
 彼女の家では、家畜として、ニワトリ、ウサギ、ヤギ、牛を飼っている。ヒヨコがかわいいのだが、順調に大きくなるのは難しいようで、時々数が減っている。なぜかときいたら、マングースにやられたと言っていた。
 そのほかの動物による害としては、リスに野菜をかじられることもあるらしい。この地域ではないが、ハイエナやサルによる害を受けたと言う話も聞いた。新聞などでは 、ゾウの害も読むが、私や私の友人の住む場所はゾウが住める場所とは離れている。